2008年 01月 31日
ルソー アルチュセール 荒谷大輔
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ルソー『社会契約論』
Althusser, "Soutenance d'Amiens" (1975)
荒谷大輔、『西田幾多郎~歴史の論理学』
荒谷さんの本、あと少し。一気に読み終われそうである。議論に勢いがある。
タルスキやクリプキを経由してデイヴィッドソンにいたる分析哲学におけるパラドクスの問題を扱った議論は鋭い。確かに、平行関係はあるように見えるし問題はクリアになる。ただひょっとすると西田が取り組んだ問題とは位相が違うような気もする。両方専門外なのでよくわからないが。
序文によると、もともと違和感を呈示しようというのが、荒谷さんのねらいでもあるらしい。難しい。
逆に、そのあとで論じられるラカンのデカルト論はとてもしっくり来る(僕の守備範囲であるせいかもしれないが)。こちらは、なるほど、こういう風に西田を読めばおもしろい、と納得した。
僕は留学中に熱中した木村敏経由で西田を読んだが正直、木村先生の議論にはもう余り魅力を感じていない。それに対する対案として有効な議論が提出されていると思う。
結論としては、荒谷さんの御著書は、いろいろな西田論の中でもようやく「絶対矛盾的自己同一」や「絶対無」といった奇妙な概念に、了解可能な枠組みを与えてくれた。ラカンの現実(界)の議論を経由するのは有効な通路ではないかと思う。
近々西田をもう一度読み返しても良いかなと思っている。
以前コメントしてくれた三人組の写真です:
Althusser, "Soutenance d'Amiens" (1975)
荒谷大輔、『西田幾多郎~歴史の論理学』
荒谷さんの本、あと少し。一気に読み終われそうである。議論に勢いがある。
タルスキやクリプキを経由してデイヴィッドソンにいたる分析哲学におけるパラドクスの問題を扱った議論は鋭い。確かに、平行関係はあるように見えるし問題はクリアになる。ただひょっとすると西田が取り組んだ問題とは位相が違うような気もする。両方専門外なのでよくわからないが。
序文によると、もともと違和感を呈示しようというのが、荒谷さんのねらいでもあるらしい。難しい。
逆に、そのあとで論じられるラカンのデカルト論はとてもしっくり来る(僕の守備範囲であるせいかもしれないが)。こちらは、なるほど、こういう風に西田を読めばおもしろい、と納得した。
僕は留学中に熱中した木村敏経由で西田を読んだが正直、木村先生の議論にはもう余り魅力を感じていない。それに対する対案として有効な議論が提出されていると思う。
結論としては、荒谷さんの御著書は、いろいろな西田論の中でもようやく「絶対矛盾的自己同一」や「絶対無」といった奇妙な概念に、了解可能な枠組みを与えてくれた。ラカンの現実(界)の議論を経由するのは有効な通路ではないかと思う。
近々西田をもう一度読み返しても良いかなと思っている。
以前コメントしてくれた三人組の写真です:
by ojamo
| 2008-01-31 21:56