2018年 11月 23日
15.認識における経験の調和と行為論における経験のやぶれ
|
フッサールは超越論的主観性においては経験が多様であるにもかかわらず調和が取れていると考えた(『デカルト的省察』第13節、邦訳64頁、『受動的総合の分析』)。たしかにフッサールが前提としていた「正常な」主体においては経験は連続的である。知覚に一瞬迷いやまちがいがあったとしても、すぐに補正されて整合的な経験へと修練し直す。論理的な推論にまちがいがあったらそれはいずれ訂正される。もし、経験の調和、整合性が破綻したとしたらそれはフッサールの言葉でいうと「異常」な状態であり、もしそれが経験的に現実化したとしたら解離や幻聴といった病理的なものということになるであろう(この道をたどると、現象学的な精神病理学へといたりうる)。
by ojamo
| 2018-11-23 22:59












